メルマガ・バックナンバー | 【第30回】なぜ缶コーヒーの値段は110円なのか?~価値と使用価値①~




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なぜ缶コーヒーの値段は110円なのか?~価値と使用価値①~


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日本経済は、失われた20年とも言われる不況に苦しんでいます。

 

 

 

2012年12月、自民党安部政権が誕生し、いわゆる「アベノミクス」がスタートしました。一部には景気が回復してきた“証拠”があるようですが、国民の多くはそれを実感していません。一方で、毎日やらなければいけない仕事は、後から後から沸いてきます。

 

 

 

日本は経済先進国です。中国に抜かれたとはいえ、世界第3位の経済大国です。豊かな国のはずなのです。しかし、その「豊かな国」で生きる私たちは、その豊かさを実感していません。

 

 

 

むしろ時代が進むにつれて、さらに仕事が長時間になり、しんどくなっているような印象さえも受けます。これは一体どういうことなのでしょうか。

 

 

 

 

 

景気が良くなっても給料は上がらない構造になっている!!

「会社員(=労働者)は、なぜしんどいのか?」その大きな理由を占めているのは「お金」です。つまり、お給料です。働いても働いても給料が上がりません。むしろ、この15年は、給料は下がっています。

 

 

 

1997年から2013年を考えると、サラリーマンの平均年収は2007年と2010年にやや上がっただけで、2014年まで傾向的に下がっています。

 

 

 

2002年から、リーマンショックが起こる前の2007年まで、日本は通称「いざなぎ越え」の戦後最長の景気拡大期と言われてきました。その景気拡大期でさえも、給料は下がっていったのです。

 

 

 

景気が良くなっていれば、給料も上がっていきそうな気がします。しかし、現実はそうはなっていません。ある特定の企業だけ下がっているのであれば、納得はできます。しかし、世の中全体が下がっているのです。どうしてか?

 

 

 

その答えを知るためには、まず「モノの値段の決まり方」を理解する必要があります。

 

 

 

 

 

「モノ」の値段はどのように決まっている?

「自分の作った商品を高く売りたい」「安売りしたくない」。多くの人がそう感じると思います。売り手としては、できるだけ高く売りたいものですよね。

 

 

 

しかし、売り手がいくらそう考えても、実際に買うのは消費者(お客さん)です。値付けをするだけならいくらでも可能ですが、実際に買ってもらえなければ意味がありません。消費者(お客さん)が買ってくれるには、妥当な価格を付けなければいけません。

 

 

 

では、その「妥当な価格」とは、一体いくらなのでしょうか?つまり、「消費者が妥当と感じてくれる価格」とは?

 

 

 

なぜ、缶コーヒーは110円なのか?

 

 

 

突然ですが、質問です。

 

 

 

あなたは、普段からいろいろな商品を買っています。たとえば、今朝も会社に行く前に缶コーヒーを買ったかもしれません。その缶コーヒーは110円でした。

 

 

 

では、なぜ110円なのでしょうか?それが相場だから?では、その相場は誰が決めたのでしょうか?なぜ、110円と決めたのでしょうか?

 

 

 

「110円分の満足感があるから」

 

 

 

近代経済学では、そのように語られます。マーケティング理論でも同じことが言われているかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか?

 

 

 

あなたは缶コーヒーを買うとき110円分の満足感があることを実感して買いますか?おそらくそうではないでしょう。また、朝も夜も、真夏も真冬も、缶コーヒーは同じ110円で買っています。

 

 

 

その時々で満足感は違うはずですが、値段は一緒です。これはつじつまが合いません。

 

 

 

「消費者(ユーザー)は、自分が感じる満足感と比べて商品を買う」「その商品から得られる満足感を金額換算し、それより安ければ買う」と言われます。しかし、じつは、そうではないのです。商品の値段はまったく別のロジック(論理)で決まっていたのです。

 

 

 

資本主義では、価格はこう決まります。

 

 

 

①商品には、「価格」と「使用価値」がある

 

需要と供給のバランスがとれている場合、商品の値段は「価値」通りに来まる

※これがタイトルでも紹介した、『資本主義』のひとつ目のポイントである、「価値と使用価値の違い」です。それでは、順番にひも解いていきましょう。

 

 

 

①商品には、「価値」と「使用価値」がある

世の中にあり得るもので、取引をするものは「すべて“商品”である」としましょう。あなたが今朝食べたパンも、会社で購入したパソコンも、打ち合わせて入ったスターバックスのコーヒーもすべて「商品」です。

 

 

 

一方で、「商品」にならないものもあります。道端に落ちている小石は商品になりません。山奥のキャンプ場の近くに流れているきれいな小川の水も、商品ではありません。

 

 

 

小さい石だから商品にならないのではありません。小さい石でもパワーストーンとして売られていることもありますよね。大きさの問題ではありません。水だから商品にならないのではありません。コンビニやスーパーでは「おいしい水」が売られていますよね。

 

 

 

この違いは何なのでしょうか?

 

 

 

それが「価値」「使用価値」なのです。「価値」と「使用価値」を持っていれば、そのモノは商品になり、持っていなければ商品にはなりません。では、その「価値」とは?「使用価値」とは?

 

 

 

まず、理解しやすい「使用価値」について解説します。

 

 

 

 

「使用価値」とは、「使って感じる価値」という意味で、それを「使うメリット」のことをさします。つまり「使用価値がある」とは、「それを使ったらメリットがある、満足する、有意義である」という意味になります。

 

 

 

たとえば、パンの使用価値は「美味しい」「空腹が満たされる」などで、小麦粉で練られて焼いたモノが使用価値を持つのは「人がそれを食べて、空腹が満たされるから」なのです。

 

 

 

この「使用価値」は、次に出てくる「価値」とは全然違う意味ですので、注意してください。

 

 

 

次に「価値」です。この言葉は要注意です。

 

 

 

 

「価値」とは、普段私たちが使う意味ではありません。『資本主義』の中で「価値」という言葉は、「労力の大きさ」という意味で使われています。つまり、「その商品の価値が大きい=その商品をつくるのに多くの労力がかかっている」ということを言っているのです。

 

 

 

「それをつくるのにどれだけ手間がかかったか」を計る尺度なのです。

 

 

 

「価値」の大きさは人がそれをつくるのにどれだけ苦労したか(どれだけそれに対して労働したか)によって決まる、つまり「価値が大きい商品」とは、「この商品は、○○人で○○時間かけ、すごく労力をかけてつくった」ということを言っているのです。

 

 

 

ある商品の「価値」の大きさは、その商品につぎ込まれた「人間の労働の量」によって決まるんですね。だから1時間で作ったパンより、10時間かけて作ったパンの方が「価値が大きい」。

 

 

 

プログラマーが3時間かけて作ったスマートフォンのアプリケーションよりも、10時間かけてつくった木彫りの置物の方が「価値が大きい」のです。「置物なんてもらっても…」と思うかもしれませんが、それは関係ないんです。

 

 

 

そのモノが有効かどうかは「使用価値」という言葉で計ります。尺度が別なのです。単純にかかった労力に比例して「価値」は大きくなります。それが、資本主義の中での「価値」です。

 

 

 

「価値」とは、ふだん私たちが使う意味での「カチ」ではありません。それが具体的にどんなものかというよりも、それにどれだけの労働力が費やされたかによって決まって、多くの労働が費やされれば「価値」が大きいということになります。

 

 

 

簡単に言うと、時間をかけてつくったものは「価値」が大きい、ということです。日常会話で使う「価値」は、経済学で言う「使用価値」の場合が多く、混乱しがちですね。繰り返しになりますが、ふだん、私たちが使う「カチ」という言葉の意味とは違います。

 

 

 

この意味を取り違えてしまうと、『資本主義』の内容がまったく理解できなくなりますので、注意してください。

 

 

 

 

 

「価値」だけでも、「使用価値」だけでも、商品にはならない

そしてもう一つは、「商品には、“価値”と“使用価値”がある」ということです。逆に言うと、「価値」と「使用価値」がなければ、そのモノは「商品」にはならないということです。

 

 

 

商品とは、(自分以外の)他人に売るものです。言い換えると、「価値」と「使用価値」がないものは、他人に売ることはできない、ということです。具体例で説明しましょう。

 

 

 

 

たとえば、「使用価値(使うメリット)」がないものは商品になりません。使うメリットがなければ、誰も買ってくれません。道端に落ちている小石や、食べ残しの弁当が商品にならないのは、「使用価値」がないからです。

 

 

 

役に立たないものは買ってもらえないというのは、当たり前の話ですよね。しかし、その当たり前の話が、とても重要なのです。商品には、「使用価値」が必要です。しかし、この「使用価値」があるかどうかを決めるのは、他人(お客さん)です。

 

 

 

そしてその商品は実際に出来上がってみないと、お客さんは使うことができません。けれど、一度その商品を作ってしまったらもう変更はできません。

 

 

 

自分の思い込みで、「これは使用価値があるはず!!」と考えて生産しますが、実際の「答え合わせ」は商品が実際に出来上がってからなのです。そして、そのテストに合格しなければ、モノはモノで終わります。

 

 

 

商品となることはできず、誰からも買ってもらえずに終わるのです。このテストに合格しなければ、商品になれずに死んでしまうわけです。使用価値がないモノは、即無意味なものになるのが資本主義経済なのです。

 

 

 

 

 

商品には「価値」も必要!!

ただし、「使用価値」さえあれば商品になるか(他人が買ってくれるか)というと、そうではありません。私たちビジネスパーソンは、自分が売ろうとしているモノ、サービスの「メリット」を徹底的に考えるよう、教育を受けています。

 

 

 

「お客様にどんなメリットがあるのか?」「顧客視点を持て!」「お客様に喜んでもらえれば、必ず次も選んでもらえる」

 

 

 

このようなフレーズがオフィスの中で頻繁に交わされています。これはつまり「使用価値」を考えろということを言っているわけです。ただ、多くの場合、ここでは「使用価値さえあれば、お客さんに買ってもらえる」ということを言っています。

 

 

 

しかし、「使用価値」だけでモノは商品になりません。「価値」がなければいけないのですそのモノに人の手が加わっていないといけないのです。「使用価値」と合わせて「価値」も持っていなければ商品にはなりません。

 

 

 

例えば、先ほどのキャンプ場の近くに流れているきれいな小川の水が売れない理由がここにあります。山奥のきれいな小川の水は、健康に良さそうな水ですね。ミネラルもたっぷり含んでいそうで、飲むメリットは十分にあります。

 

 

 

でもそれを、すぐ隣のキャンプ場で売ろうとしても、間違いなく売れません。なぜか?「価値」が無いからです。水が湧き出ている小川の隣で売る「山奥のきれいな小川の水」には、ほとんど労力がかかっていません。

 

 

 

ということは、相手(お客さん)も何の苦労もせずに手に入れることができます。だからわざわざ買わないのです。「価値」がない(労力がかかっていない)ものは、いくら使用価値があっても売りものにならないんですね。

 

 

 

このポイントも非常に重要です。むしろ、こちらの方が大事かもしれません。商品にいくらの値段がつくか、更に私たちのお給料がなぜその金額なのかを説いてくれるのは、実はこの「価値」なのです。

 

 

 

この非常に大切なポイントを理解するためには、次の法則を解明しなければいけません。

 

 

 

 

 

一週間寝ずに見張り番をしながら煮込んだとんこつスープと、カップラーメンに入っている粉スープで作ったとんこつスープ、高いのはどっち?

資本主義の中での商品の値付けについて、それが先ほど説明した二つ目の理論です。

 

 

 

②需要と供給のバランスがとれている場合、商品の値段は「価値」通りに決まる

商品には、「価値」と「使用価値」があります。これらふたつの要素が揃って、初めて売りものになります。ただし、商品の値段を決めているものは「価値」になります。価値の大きさがベースになって値段が決まっているということです。

 

 

 

ビジネスパーソンが重要視しているのは、「お客様のメリット」です。お客さんにメリットがある商品(つまり「使用価値」がある商品)を提供することが全てだと感じています。安く買い叩かれてしまうのは、お客さんへのメリットが不十分だからだ、と。

 

 

 

つまり「使用価値」がないからだ、と。

 

 

 

ですが、商品の値段は使用価値ではなく、価値で決まります。つまり、「どれだけ労力をかけてつくったか」で値段が決まる、「労力をかければかけるほど(価値が大きくなればなるほど)値段が上がっていく」のです。

 

 

 

「そんなことはあり得ない!」一読すると、そう感じるかもしれません。しかし、消費者の目線で見ると、私たちは自分自身でもその通りに考えていることがわかります。ビジネスパーソンとして会社内で言われている事と全然違う判断をしているのです。

 

 

 

消費者の立場になって、考えてみてください。例えば、

 

 

 

・一週間寝ずに見張り番をしながら煮込んだとんこつスープ

 

・カップラーメンに入っている粉スープで作ったとんこつスープ

 

 

 

おそらくほとんどの人が「一週間寝ずに見張り番をしながら煮込んだとんこつスープ」を高く設定するでしょう。「一週間寝ずに見張り番をしながら」の方が高くて当然、と感じます。

 

 

 

味については何も言っていません。「一週間寝ずに見張り番をしながら」の方が美味しそうな印象を持ちますが、あくまでも「印象」です。

 

 

 

そしておそらく目隠しをしてクイズを出されたら、多くの消費者には、「カップラーメンに入っている粉スープ」「一週間寝ずに見張り番をしながら煮込んだとんこつスープ」も一緒で、味の区別はできません。

 

 

 

しかし、それでも「一週間寝ずに見張り番をしながら煮込んだとんこつスープ」に高い値付けをするのです。これはつまり、使用価値(とんこつスープの美味しさ)ではなく、そのスープを作るのにかかった労力(価値)で判断しているという事なのです。

 

 

 

「おにぎり」よりも「手作りおにぎり」の方が高そうに感じます。非常に細かい刺繍がほどこされたペルシャじゅうたんを見せられたとき、「すごい」と思います。ですが、それが10人の職人で作られたじゅうたんだという事を聞かされると「すご~~い!!」と感じます。

 

 

 

目の前にあるものは変わらないのに、それが機械製か手製かで感じる重みが変わっているのです。

 

 

 

また、何かの習い事に行くとき、回数や期間で割安・割高を判断することがあります。「10万円だけど、半年間だから安いよね」「2回で10万円は高い!」というように。

 

 

 

本来気にしなければいけないのは、そこに通って目的のスキルが身につくかどうか(その講座の使用価値)ですね。もっと言ってしまうと、1回で全てのスキルが身に着いた方が効果的でメリットがあります。

 

 

 

でもそうは考えず、回数や期間(相手が自分のために費やしてくれる時間、労力)で判断しているのです。

 

 

 

解ったでしょうか。私たちは消費者として商品を「価値」で判断しています。そして「価値」をベースに妥当な値段を考えているのです。つまり、世の中の商品は「使用価値」ではなく、「価値」で値段が決められているのです。

 

 

 

 

 

価値に考慮されるのは「社会平均」

「手間がかかっていれば価値が大きくなる」「その商品を作り上げる労力が多いと、価値が大きくなる」のです。

 

 

 

ただ、こう説明されると、一つ矛盾を感じます。効率が悪く長時間かけてつくった商品は、手際良く作った商品よりも「価値が大きい」ということになってしまうのです。

 

 

 

だとしたら、わざとゆっくり、無駄を多くして商品をつくれば、「価値が高い商品」ができ上がるということになります。当然ながらそんな事はありません。ここが矛盾しているように思えます。ここはどう説明するのでしょうか。

 

 

 

資本主義では、商品の価値の大きさは「社会一般的にかかる平均時間・平均労力」で決まります。

 

 

 

商品を作り上げるのにかかる手間や必要な労働量は個人個人で違います。ですが、商品の価値はそのような個別の事情によって決まるのではなく、その商品の価値は「その社会で平均的に考えて、必要な手間の量、時間の量」で決まるのです。

 

 

 

・この商品をつくるには、通常これくらいの労力がかかる

 

・この商品の原材料は、一般的にこれくらいの量が必要

 

 

 

私たちも「この仕事だったら、これくらいかかりそう」という感覚値を持っています。それと同じで、社会一般的に必要な労働量が想定されています。その必要労働量が「商品の価値」としてみなされるのです。

 

 

 

ですから、わざと効率を悪くして労力をかけても「商品の価値」は上がりません。また、社会平均で2時間で終わる仕事を、自分は10時間かかって行っても「5倍の価値を生み出した!」とはなりません。あくまでも社会平均で考えられるのです。

 

 

 

「モノの価値は、社会平均的な労力の大きさで決まる」

 

 

 

そして、これこそがあなたの給料の決まり方を理解する上で、また生活に余裕を出すために、非常に重要なポイントなのです。

 

 

 

 

 

価格の相場を決めるのは「価値」、そこから価格を上下させるのが「使用価値」

普段から会社で「顧客満足を考えろ!」と言われ続けている私たちには、『資本主義』の「価値が値段を決める」というロジック(論理)はにわかに信じられません。

 

 

 

おっしゃる通り、「使用価値」は重要です。そして、使用価値が価格に何も影響を及ぼさないかというと、そうではありません。経済学的に言うと「使用価値」は、需要・供給の法則を通じて、商品の値段に影響を与えます。

 

 

 

使用価値が高いものは、より多くのお客さんが欲しがります。需要が大きいわけです。「もっと高くても欲しい!」と考えているため、結果的に値段が相場よりも高くなるのです。

 

 

 

反対に、使用価値が低いものは「もっと安くないと買わない」と言われてしまい、安くなっているのです。

 

 

 

しかし、いくら使用価値が高くても、紙コップが10万円を超えることはまずありません。反対に、いくら使用価値が低くても、スペースシャトルが1万円より安くなることも考えられません。

 

 

 

それは、価値が値段の基準をつくっており、この種のものは大体これくらいの値段だよな、という相場を作っているからなのです。個別の商品の値段は、その相場を基準にして、値段が決まっています。

 

 

 

相場をつくるのはあくまでも「値段」、そして、その基準から値段を上下させるのが「使用価値」です。

 

 

 

ここは強調しても強調しすぎることはありません。もちろん「使用価値」がなければ商品になりません、買ってもらえません。だから使用価値(商品のメリット)を追求するのは当然ですし、必要不可欠です。

 

 

 

しかし、それは商品の一側面でしかありません。使用価値があれば(お客様にメリットがあれば)、問題なく会社が黒字になるかというと、そうではないのです。使用価値があれば、お客さんは買ってくれるでしょう。しかし、「高値で」とは限りません。

 

 

 

お伝えしたように、商品の値段は「価値」が基準になって決まっているというのが経済の原則です。ですから、それを作るのに労力がかかっていない(大した労力がかからない)と思われるような商品は、高い値が付かないのです。