私たちは、知らぬ間にもらっている給料以上働かされている~剰余価値とは~
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日本は「豊かな国」のはずなのに、そこで生きている私たちは「豊かさ」を実感していません。日々、苦しい想いをしています。そして人によっては企業(会社)をその原因と考えています。
会社員(労働者)が日々苦しむのは、企業がブラックだからだ、企業が一人で儲けていて、その恩恵をひとり占めしているからだ、という事です。果たして本当にそうでしょうか。
もちろん、一部には「ブラック企業」と揶揄(やゆ)されるような企業もあります。ですが一部です。一方、日々「しんどい」と思っている労働者は一部ではありません。全体的にそのような雰囲気を感じます。
つまり、一部のブラック企業に勤めている人以外にも「しんどい」と感じている人は大勢いるのです。労働者にしんどい生活を送っていると思わせるのは、その個別の企業の事情ではなさそうです。
資本主義の観点から考えると、労働者がしんどいのは、その企業の経営者が悪いのではなく、資本主義全体がそのような運命にあるからだという事がわかります。つまり、労働者をしんどい状況に追い込まなければ企業としても生き残っていけない。
だから、企業が生き残っていく為に労働状況を悪くする、という事なのです。一体どういうことでしょうか。
ここでは、資本主義経済の中で生きる企業がどのような宿命を背負っているのか、その中で働く労働者がどのような構造に組み込まれているのかを説明していきます。
その構造を知るためには、『資本主義』のエッセンスの二つ目となる「剰余価値(じょうよかち)」について知る必要があります。
会社の「利益」はどのようにして生まれるのか
「会社の利益とは何か?」「会社はどうやって利益を出しているのか?」このように聞かれたら、おそらく一般的には「モノを仕入れて(又は作って)販売し、その差額が利益になる」というような事を考えるでしょう。
では、なぜモノを仕入れて(又は作って)販売すると利益が生まれるのでしょうか?この利益が生まれる仕組みを理解する事は、資本主義の構造を理解する事です。
そして同時に、利益を生み出す過程で、労働者である私たちがどのように「貢献」しているのかがわかり、私たちの行動がどれくらい「企業(資本家)」のものになっているのかを理解する事ができます。
資本主義経済の中では、企業は利益を追い求めていく宿命にあります。利益を得られなければ存続できません。同時に常に現れるライバル達にも打ち勝ち、消費者に認めてもらわなければいけません。
そのために、日々「もっと効率良く」「より良いもの」を目指しています。しかし、まさにその利益を求める行為自体が企業を苦しめる事になります。非常に逆説的に聞こえますが、利益を求める行為自体が企業を苦しめるのです。
企業が利益を求めれば求めるほど、長期的にみて利益を下げていく事になります。企業が利益を求めれば求めるほど、自分たちの商品が「コモディティ(均質)」になるスピードを速めてしまいます。
企業が利益を求めれば求めるほど、倒産しやすい環境に自ら追い込んでしまいます。
にわかには、信じられないかもしれません。しかし、現代の日本経済・世界経済を見渡すとまさに同じ現象が起こっている事に気がつきます。これを解説するために、資本主義経済における利益の生まれ方から説明していきたいと思います。
利益は「剰余価値(じょうよかち)」から生まれる
ビジネスを行うと、利益が生まれます。しかし、ビジネスで利益が生まれるのは、「100の価値があるものを、90で仕入れ、110で売っているから」ではありません。
通常の取引であれば、価値が100あるものは100として交換されます。取引相手を「叩いて」もしくは騙して利益をもぎとっているわけではないのです(もちろん、一部に例外があり、詐欺や力関係により不当な取引が存在しています)。
一般的に考えると、商品はその価値通りに取引されています。つまり、単なる取引(交換)では利益は生まれていないのです。
ですが、商品や労働力が「価値通り」に取引されるのであれば、いくら取引をしても同じ価値のものを交換しているだけで、利益は生まれない事になります。しかし、現実には利益が生まれています。では、利益はどうやって生まれているのでしょうか?
資本主義の中では、ビジネスから利益が生まれるのは、商品を生産する工程で「剰余価値(じょうよかち)」が生まれるからとしています。この「剰余価値」は「付加価値」と似た概念です。
商品を作る時に、商品に価値を付け加え、商品の価値を上げます。その商品を売るので、利益が生まれるのです。
つまり、90の価値があるものを仕入れて商品を生産・加工します。ここで20の剰余価値が生まれて、原材料に付け加えることで110にして売れるのです。それがビジネスです。
「剰余価値(じょうよかち)」が生まれるまでのプロセス
「商品を生産する過程で付加価値が生まれ、それが利益になる」そう言われると、何だかわかったつもりになり、それですべて話が完結したように思えます。ですが、大事な話はここからです。
この剰余価値の意味と剰余価値が生まれる過程を知る事で、「企業の利益はどのように生まれるのか」「企業が利益を出すためには、どんな要素が必要なのか」がわかります。
そして、その上で現代の社会を見た時に、これから日本経済・世界経済がどうなっていくのかもわかるのです。
ここで、企業の利益がどのように生まれるのか、『資本主義』の例にしたがってコーヒー豆からコーヒーを生産する過程で分析をしてみます。
10キロのコーヒー豆から10キロのコーヒーを生産します。そのときにかかる費用は、
①コーヒー豆10キロ・・・1万2,000円
②使用する機械設備の減価償却分・・・4,000円
③労働者の日給・・・4,000円
とします。合計で2万円の費用がかかりますね。
②の「減価償却分・・・4,000円」が理解しづらいと思いますので、解説を加えます。「減価償却分」とはつまり「機械を使った分」という意味です。
機械はパンやジュースと違い、一度消費しただけではなくなりません。数回使っただけでは、見かけもほとんど変わらないでしょう。でも、かといって一生使えるわけでもありません。見かけがほとんど変わっていなくても中身は少しずつ劣化しているのです。
だから、やがて使えなくなります。それを会計や経済学では「価値を消費した」と考えます。
例えばこういう事です。100万円の機械があります。この機械は1万回使うと壊れるとしましょう。そうすると、1回使うたびに「100円分の価値」を使っている(消費している)ことになります。
見かけは変わっていないけれど、10回使えば1,000円分使ったとみなし「その分、機械の価値が減った」と考えます。これは「10キロ3,000円のお米」を消費するのと同じです。10キロ3,000円のお米を買うと、その時に3,000円を支払います。
しかし一日で10キロ全部食べるわけではありませんよね。今日1キロだけ食べたとしたら、300円分を消費したことになります。お米の袋の外見はそれほど変化しませんが、300円分が消費されたわけです。これが「減価償却」のイメージです。
会計では、「機械を使った分」を費用としてみなしています。今日の食費を考える時に、今日買ったお米(10キロ3,000円)ではなく、今日食べたお米(1キロ300円)だけを考えるのと同じです。それが「減価償却(減った分を処理する)」です。
一方、生産したコーヒー豆の価値はいくらになるでしょうか?コーヒー豆10キロからコーヒー10キロを製造するために4時間働きます。また労働者が「加工」することで、1時間あたり1,000円分の付加価値を生み出すとします。
そうするとこのコーヒーの価値は、「材料(費用)」と労働者が付け加えた価値を足し合わせて、
1万2,000円(コーヒー豆10キロ分)+4,000円(機械設備の減価償却分)+4,000円(労働者が付け加えた価値=1,000×4時間)=2万円
ここで、原材料であるコーヒー豆1万2,000円分の価値は、商品の中にそのまま移ります(移転します)。原材料は単に形状が変わっただけなので、生産プロセスで価値が変わることはありません。
例えば、もっと上質で3,000円高いコーヒー豆を使ったら、でき上がったコーヒーの原価も3,000円だけ増えて、2万3,000円になります。
機械の減価償却分も一緒です。減価償却は「機械を消費した分」です。でもその消費された機械は、どこかに消えてなくなるわけでなく、形を変えて商品の一部に変化したと考えます。実際、機械の鉄くずが商品パッケージの中に紛れるわけではありません。
あくまでも考え方として、その分の価値が商品の中に入り込んだと捉えます。
生産ラインで使っている機械の減価償却分も商品にそのまま移ります。原材料が形を変えて商品の一部になるのと一緒で、機械の価値も形を買えて商品の一部になると考えるのです。機械の価値が減ってそれが商品の価値の一部になったという事です。
ここでこのコーヒー豆の価値と費用を比較すると、
●かかった費用・・・2万円
●生産したコーヒーの価値・・・2万円
です。需要と供給のバランスがとれている状態では、値段=価値になりますので、この企業はこのコーヒー10キロを2万円でしか売れません。費用も2万円かかっているので、企業の利益は「ゼロ」です。
しかし、これでは企業にとって何も意味がありません。ですがこれは「コーヒーという商品が悪い」「今の時代、コーヒーを生産しても利益が出ない」という事ではありません。全ての商品が同じ構造で生産されています。
つまり、商品の“筋”が悪いのではなく、全部同じなのです。このように生産した場合、どんな商品でも利益は出ません。しかし現実的には、企業は商品を生産して利益を得ています。これはどういうことでしょうか?
答えは、「生産量」と「労働者の使い方」にありました。
ここで企業が生産量を倍にして、20キロのコーヒーを生産しようとすると話しは変わります。20キロのコーヒーを生産する場合、コーヒー豆(原材料)の量、機械の減価償却分はそれぞれ2倍になります。
しかし一方、労働者の日給は4,000円で一定です。「労働者の給料」は労働力の価値で決まっています。一日に働く量が4時間から8時間になっても、「明日また働くために必要な経費(食費、家賃、洋服代など)」はほとんど変わりません。
だから労働力の価値は変わらず、労働者の給料も変わりません。労働者に倍の労働をさせているにもかかわらず、企業は同額の給料しか支払わなくていい訳です。そのため、
①コーヒー豆20キロ・・・2万4,000円(※2倍になった)
②使用する機械設備の減価償却分・・・8,000円(※2倍になった)
③労働者のお給料・・・4,000円(※変わらない)
となります。この時の費用は2万6,000円です。
では一方で、コーヒー豆20キロの価値はいくらになるでしょうか?このとき、労働者は8時間働きます。1時間あたり1,000円の付加価値を生み出すので、労働者は8,000円の価値を生み出しました。となるとコーヒー豆20キロの価値は、
2万4,000円(コーヒー豆20キロ)+8,000円(減価償却分)+8,000円(労働者が付け加えた価値:1,000円×8時間)=4万円
です。この20キロのコーヒーを売れば4,000円(4万円-3万6,000円)の利益を得ることができます。ここでポイントになるのは、企業はそれぞれに対して「正当な料金」を払いつつ、利益を出したという事です。
つまり、買い叩いたり、騙したりしているわけではないのです。
労働者は、初めの10キロ、後の10キロにそれぞれ4,000円ずつ、計8,000円分の価値額を付け加えました。つまり8,000円の付加価値を付け加えたわけですね。ただし、日給は4,000円と決まっているので、4,000円しかもらえません。
残りの4,000円は企業の利益になっています。
繰り返しますが、企業が労働者を騙したのではありません。当初「8,000円支払う!」と言いながら4,000円しか支払わなかった、という訳ではないのです。労働者には「1日働いてもらったら4,000円」という契約をしていました。
その金額が多いか少ないかは別にして、約束通りに払っているのです。ここがポイントです。
法律・契約無視の企業が、労働者を騙しているから利益を生み出せているのではありません。企業は契約した通りにお給料を支払いつつ、なおかつ利益を生み出せるような「ルール」になっているのです。
労働者がもらえる給料以上に働くと、それが企業の「利益」になる
ここで、注意してみると、企業の利益になる「剰余価値」は、
「労働者が商品を生産する過程で生み出した付加価値」
だということに気がつきます。労働者は自分の労働力の価値よりも多くの価値を生産し、そしてこの差額分が剰余価値とされるのです。これが、企業が利益を生み出せる理由です。労働者が自分の給料以上に働き、価値を生み出し、それが企業の利益になっているのです。
企業は、原材料を仕入れ、機械設備を使い、労働者を雇って生産活動を行っています。それだけ考えると、企業はそれらすべてを使って利益を出しているように思えます。つまり原材料や機械設備も利益を生み出しているように感じます。しかし、それは違うのです。
先ほど説明したように、コーヒーの価値と機械の価値(機械の減価償却分)は、そのまま金額を変えずにコーヒーの価値に移転するだけでした。
例えば、機械設備に1万円を使ったら、できた商品のうち1万円分は機械設備のおかげ、機械設備という形をとっていた「価値」が、形を変えて商品に変化しただけなのです。
つまり、コーヒーや機械の形をしていた「価値」がコーヒーの形に置き換わっただけで、新しい価値が生まれたわけではないのです。という事は、いくら良い原材料を仕入れようが、いくら良い機械設備を使おうが、企業の利益は増えないという事です。
もちろん、良い原材料を使ったら、商品の値段を高く設定することができます。普通のお茶よりも、宇治産の玉露を使った方が高く売れます。でも、その分「原材料の仕入れ」も増えるので、企業の利益は増えていないわけです。
仕入れ以上に価値を増やせるのは、労働だけなのです。
原材料が加工されて形が変わっても、価値が増えるわけではありません。そこに労働者が手を加えるから、価値が上がるのです。高い材料だから、利益をたくさん稼げるわけではないのです。
原材料(コーヒー豆)や機械設備などは、いくら良いものを仕入れたり導入したりしても、形が変わって商品の中に移るだけで、その価値の大きさは加工後もまったく変化しません。これを『資本主義』の中では「不変資本」といいます。
一方、労働力という「原料」は少し違います。先ほどの例で言えば4,000円で買っても、結果的に8,000円の価値を生み出しています。このように価値が増えるのは「労働」だけです。
労働を、不変資本に対して「可変資本」といいます。つまり企業は、労働者を働かせることによって、支払った価値以上を生み出せる、利益を上げることができるのです。実はこの事実こそが現代の企業が苦しんでいる理由であり、これからの資本主義経済を表す本質なのです。
世の中の企業が求めている3つの剰余価値
労働者は、自分で生きていくために必要な量以上に働いて、剰余価値を生み出します。これが企業の利益になります。但し「剰余価値」には3つの種類があります。具体的には、
①「絶対的剰余価値」
②「相対的剰余価値」
③「特別剰余価値」
です。どれも「剰余価値」には違いありませんが、その生み出され方が違います。
①絶対的剰余価値
「絶対的剰余価値」とは、単に労働者をより長く働かせることによって生み出される剰余価値です。
先ほどのコーヒーの例で説明します。労働者の日給は4,000円として考えました。労働者をいくら働かせても、「1日4,000円」です。しかし一方で、労働者を長く働かせたらその分だけ生み出す付加価値が増えていきます。
4時間労働を8時間労働にすれば、生み出される付加価値が倍になりますね。16時間労働にすれば、付加価値が4倍になります。このように長時間労働させれば、それに比例して剰余価値も増えていきます。このように生み出されるのが、「絶対的剰余価値」です。
商品に付加価値を付け加えることができるのは、労働だけです。そのため、企業が付加価値を増やそうとするときに、最初に考えるのが「長時間労働」です。
例えば産業革命直後のイギリスでは、労働者は1日16時間労働などを強制されていました。現代でも、社員に超長時間労働を強制する企業がありますね。
それは、資本主義の中で言えば絶対的剰余価値を目的にしているからです(現代では、社員に長時間労働をさせたら、その分残業代を支払わなければいけません。
なので、正確に言うと人件費は一定ではありません。しかし、残業代を規定どおりに支払っている企業は全体としては少なく、そういう意味で資本主義の理論を現代にも完全に当てはめて考えることができます)。
労働者にもっと集中させて一定時間内に行う仕事を増やしたときも、「絶対的剰余価値」が生まれます。企業が労働者をコキ使い、虐げているわけですが、「不当に」安く雇っているわけではありません。
企業は労働力の価値だけ正当にお金を払っています。企業は労働者と契約し、その労働者の一日分の労働力を買い取っています。つまり、その人を一日働かせる権利を持っているのです。その権利を行使し、正当に、できるだけ多くの絶対的剰余価値を得ようとするのです。
しかし、労働者に重労働・長時間労働を強制するにしても限界があります。限度を超えれば労働者は身体を壊し、翌日働けなくなってしまうでしょう。
また、労働者を本当に怒らせてしまうと団結し、ストライキを起こす可能性もありますし、現代では「ブラック」な側面が世の中に知れてしまうと、すぐにメディアやネットで叩かれてしまいます。その為、企業もむやみに絶対的剰余価値を増やすことはできないのです。
では、それ以上に利益を出すことはできないのでしょうか?実はそうではありません。また別の形で剰余価値は増えていくのです。それが次の「相対的剰余価値」です。
②相対的剰余価値
人件費は、労働力の価値で決まります。そして労働力の価値は「その労働者が明日も生きていけるように、元気に働けるように、必要な金額」で決まっています。大まかに考えると、労働者の生活費がベースになっているのです。
ということは、労働者の生活費が下がれば、労働力の価値も下がることになります。つまりお給料が下がるのです。その結果、企業の利益が増えることになります。そのように増えた利益を「相対的剰余価値」と言います。
一般的に言って、ある分野で労働生産性が上がり1個の商品を短時間(少ない労働)で生産できれば、その「商品の価値」は低下します。
すべての商品は、人(労働者)の生活に関わっていますので、どんな商品であれ、商品の価格が低下すれば、それを使っている労働者の「労働力の価値」が下がることになります。
例えば、かつてお米や野菜を育てるのは長年の知見や技術が必要で、また、実際に栽培するときにも、あらゆる注意を払ってようやく収穫することができました。ですが今では、製造技術の進歩で、それまでより簡単に生産できるようになりました。
その結果、お米や野菜の「価値」が下がったのです。そうなると、それを食べて生活していた人たちは、必要な生活費が下がります。とすると、「明日働くための材料費」が下がるから、労働力の価値も下がる、というわけです。
食べ物の価値が下がれば労働者の食費が下がり、労働力の価値が低下します。シェアハウスが普及し、安い家賃で住めるようになれば労働力の価値が低下します。
昔は数千円したゲームがスマホゲームになり、数百円で買えるようになれば、労働者の「気晴らし代」が下がり、労働力が低下します。
こう考えると、デフレ下で労働者の給料が下がるのは、「仕事口(労働力の需要)が少ないから」と合わせて、「物価が下がり労働力の価値が下がる(労働者の生活費が下がる)から」だと言えます。労働力の価値が下がれば企業は人件費を減らすことができます。
一方で、総労働時間を変えずに生産量をキープすれば、それだけ利益が増えることになります。この結果生み出されたのが「相対的剰余価値」なのです。
しかしこの「相対的剰余価値」は、個々の企業が「当社でも相対的剰余価値を生み出そう」と計画しているわけではありません。狙って生み出せるわけではなく、あくまでも社会一般的に労働者の生活費が下がった「結果」です。
絶対的剰余価値は、企業の「意思」で増やすことができます。しかし、労働者も人間なので、長時間労働・重労働には限界があります。これを増やそうと考えても限界があり、企業がもっと利潤を稼ぎたいと思っても、あるところで頭打ちになります。
企業からすれば、「不完全燃焼」に終わるのです。
一方、労働者に長時間・重労働をさせなくても「相対的剰余価値」は増えていきます。しかし、一企業が意図的に増やすことはできません。ここでも企業の「不完全燃焼状態」は変わりません。
ですが、このままでは終わりません。資本主義経済では、企業は別の方法で剰余価値を生み出すことを試みます。そうやって生み出されるのが次の「特別剰余価値」です。
③特別剰余価値
この「特別剰余価値」を追求することは、資本主義経済において企業にとって必然の流れです。しかし同時に、この「特別剰余価値」を追求するからこそ、競争が激化し、商品がコモディティ化(均質化)し、商品の「寿命」が短くなります。
企業経営がシーソーゲームになるのは、まさにこの「特別剰余価値」が原因なのです。では、その「特別剰余価値」とは何でしょうか?再度『資本主義』での例えにしたがって、コーヒーの例を使って説明します。
20キロのコーヒーを生産するのに、周りの会社は平均で8時間かかるとします。ですが、A社は独自の技術開発により4時間で20キロのコーヒーを作ることができるようになりました。8時間ではその倍の40キロのコーヒーを作ることができます。
独自の技術開発をしても、労働者に対して払う給料は変わりません。生産性を高め、より多くの価値(商品)を作ることができれば、それだけ剰余価値が増えるのです。この増えた剰余価値(利益)が「特別剰余価値」です。
要するに、生産性を高めて同じ時間内により多くのものを作れれば、一個あたりのA社にとっての価値(個別的価値)は、周りの企業にとっての価値(社会的価値)よりも小さくなります。原価が少なくなるのです。
ですが、その商品の価値は社会一般と同じように評価してもらえますので、A社が生産した商品は、他社の商品と同じ値段で売ることができます。「社会的価値」と「個別的価値」の差額分だけ他の企業より多く儲けたことになるのです。
この差額分が特別剰余価値です。資本主義経済においては、あらゆる企業がこの「特別剰余価値」を目指していると言っても過言ではありません。
最近では、ますます「長時間労働」に対する社会的批判が高まっています。そのため経営者としては、「絶対的剰余価値」は生み出しづらい状況です。ましてや「相対的剰余価値」を狙って生み出すことはできません。
となると、この「特別剰余価値」しかありません。他社よりも良い条件で、上手くビジネスすることで利益を稼ぐしかないのです。
企業の利益の源泉が「労働者を給料以上に働かせること」しかないとすると、もはや企業は必然的に特別剰余価値を生み出すことを狙うしかありません。「他社よりも上手く!」を考えざるを得ないのです。
しかし、この特別剰余価値を生み出そうとする行為自体が、やがては自分たちの首を絞めていくことになります。