不況、増税、老後破産。資本主義で”死なない”為に知らなければいけない経済のコト | 年収500万円でも生活が豊かになっていかない本当の理由~価値と使用価値②~

資本主義を生き抜く為に知らなければいけない”経済”のコト




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あなたが今後もらえるお給料は、予め決められている

 

以前の記事で、取引するものはすべて「商品」であると解説しました。そう考えると、あなたの労働力も「商品」だということになります。

あなたは、会社のために時間と体力と精神力を使って働きます。そして対価としてお給料を受け取ります。これは立派な取引ですね。つまり、労働力も「商品」なのです。ということは、「労働力の値段」も、商品と同じように決まっているという事になります。つまり、私たちのお給料は、商品の値段の決まり方とまったく同じように考えることができるのです。

商品の値段は、商品の「価値」が基準になって決まっていました。その商品をつくるのに、どれくらいの労力がかかっているか、どれくらいの原材料が必要か、どれだけの原価がかかっているかで「価値」が決まり、それを基準に値段が決まっているのですね。

私たちの労働の値段も一緒です。給料も同じ理屈で決まっています。だとしたら、あなたのお給料を決めているのは、「あなたの労働力をつくるために必要な要素の合計」と考えられるのです。

商品の価値は、商品を生産するのに必要な要素の合計です。つまりこれは、その商品の「生産コスト」です。同じように、労働力の価値も、労働力の「生産コスト」で決まるというわけです。

給料の金額は、あなたが頑張った「努力の結果」ではなく、あなたを働かせ続けるために「必要なコスト」で決まる

では、その「労働力をつくるのに必要な生産コスト」とは何でしょうか?人間が働くには、その仕事をする体力と知力(知識・経験)が必要です。労働力に体力と知力がなければ働いてもらうことができません。

たとえば、42.195キロのマラソンを走り終えてエネルギーがゼロになってしまった人を働かせることはできません。労働者として働いてもらうためには、食事をして、睡眠(休息)をとって、再びエネルギーを満タンにしてもらわなければいけませんね。このときにかかるコスト(食費、睡眠のための住居費など)は、労働力をつくるのに必要な「生産コスト」です。

同じように、業界未経験の人を会社に連れてきて、みなさんと同じように働いてもらおうとしても無理です。仕事に必要な知識や経験がないからです。これらの知識・経験を身につけてもらわなければいけません。このときにかかるコストや労力(学費・研修費、勉強時間など)も、労働力をつくるのに必要な「生産コスト」です。

そして、これらの「労働力の生産コスト」を積み上げたものが、そのまま労働力の価値になり、その労働力の価値が基準となって、あなたのお給料が決まっていくのです。体力的にキツい仕事は、そうでない仕事に比べて、エネルギーをたくさん必要とします。そのため、エネルギー補給のためのコストが多く必要です。だから、そういう仕事(肉体労働など)はその分だけお給料が高くなります。

非常に重要なポイントですので、改めて整理しますと、こういうことです。卵焼きをつくるのには、

「卵や味付けをするための醤油を仕入れる」

「油を仕入れる」

「フライパンや食器類を仕入れる」

「料理してもらう」

などが必要です。それと同じように、あなたが「労働力」をつくるには(働けるようになるには)、毎日食事をしなければいけません。食費がかかります。疲れたら体力を回復させなければいけません。住居や生活設備が必要です。住宅費がかかります。外に出るには服を着なければいけません。衣服代がかかります。日々のストレス発散のために気晴らしが必要です。娯楽費がかかります。仕事をするための知力が必要です。このときに知識習得費がかかります。

これらの合計が労働力の価値になり、あなたのお給料を決めているのです。

もらえる金額は「社会平気的に」必要な経費

お給料が必要経費といっても、当然ながら「自分が必要だったらいくらでも出してくれる」というわけではありません。商品の価値は「社会平均的にみて必要な手間の量」で決まると説明しました。「世間一般で考えて、その商品をつくるには、これくらいの原材料や手がま必要だな」という量が、商品の価値になります。

労働力の価値も同様です。労働力の価値として認められるのは、「世間一般で考えて平均的に必要な費用」だけです。個人的に「食費や飲み代が必要!」「私はバッグはブランド品でないと外には出られないの!」と言っても通用しないということです。

毎月の給与明細は、あなたを働かせるために「必要な生産コスト」の内訳

この『資本主義』の理論を理解していただいたうえで、自分自身の給与明細の項目を一度見てみてください。「手当て」が何を意味しているのか、理解できるのではないでしょうか?

通勤手当は、「あなたが明日も働くためには、電車に乗って会社まで来なければいけませんね。その費用を会社が負担します」という意味です。住宅手当は、「明日も働くためには住む場所が必要ですね。だから住宅を用意しましょう」といって、会社があなたにお金を支給しているのです。家族手当は、「あなたが明日も働くためには、家族をちゃんと養えていなければいけません。だから、扶養家族が増えたらその分を上乗せして支給しましょう」という意味です。子女教育手当ては、要するに子どもの教育費です。「子どもに学費がかかりますね。その分を支給しましょう」ということです。資格手当は、「その資格(知力)を得るのにお金や労力がかかったでしょう。だからあなたの労働力の生産コストが上がりました。その分を支給しましょう」です。役職手当、残業手当も同じです。役職に就けば「それだけ必要な精神的エネルギーが増えますね。では、その分を」「残業したら、より体力を消耗しますね。じゃ、その分を」といって、会社が支給しているのです。これこそが、いまの日本企業で、『資本主義』の理論どおりにお給料が決まっていることの証なのです。

なぜ弁護士のお給料は高いのか?

労働力の価値には、その仕事をするのに必要なスキルを身につける労力を含めて考えられていると説明しました。ということは、そのスキルを身につける労力が大きい仕事は、労働力の価値が高くなり、よって給料が高くなるのです。

たとえば、弁護士の時給はだいたい5,000円といわれます。一方、一般企業では時給は1,000~2,500円です。なぜ、弁護士の時給は高いのか?それを「弁護士の仕事の方が、一般的な仕事よりも難しいから」「世の中を生きていくうえで重要な仕事をしているから」と考えてはいけません。実際に弁護士の仕事は大変ですし、難しい業務だと思います。法律に関わる仕事ですから、世の中を生きていくための重大な仕事です。

しかし、「高度だから、重大な仕事だから給料が高い」のではありません。もし「難しい仕事」にお金が支払われるのであれば、町工場の匠の技術を持つ職人はもっと高給取りであってもいいはずです。「世の中を生きていくうえで重要な仕事」に高いお金が払われるのであれば、介護士のお給料も同程度に高くなるはずです。

しかし、弁護士の平均月収が約73万円なのに対し、厚生労働省の統計(2012年)では介護士は約21万円だけです。介護士も同じように「世の中を生きていくうえで重要な仕事」です。でもお給料が大きく違うのです。

弁護士のお給料が高いのは、弁護士の仕事をこなすために、膨大な知識を身につけなければならず、そのために長期間準備をしてきたからなのです。弁護士になるまでの準備が大変で、みんながそれを理解しています。だからお給料が高いのです。

介護士は非常に重労働で、社会的意義も高い仕事です。しかし、介護士になるための準備は、弁護士になるための準備よりも少なくて済みます。この差がお給料の差になっているのです。

逆に、誰にでも簡単に始められる仕事は、「身につけるべきスキル」がないので、その分お給料が安くなります。いくら頑張っても、いくら成果を上げても、「また明日同じ仕事を簡単にできてしまう」のであれば、当然、必要経費は少なくなります。そう考えると、単純作業者の時給が少ないのは「必然」だといえます。「体力的にキツい」とか「毎日長時間労働」とかは関係がないのです。その「労働力」をつくるための原材料費が少ないため、お給料が少ないのです。

「うちの会社は頑張っても評価してくれない…」と嘆くのは、そもそもの考え方がズレている

労働力は「商品」です。そのため、一般の商品と同じように、「価値」と「使用価値」があります。これまで説明してきた内容が、労働力の「価値」についてでした。では、「労働力の使用価値」とは一体何でしょう?

労働力の使用価値は、「労働力を使ったときのメリット」です。要するに、「会社が、私たち労働者を使ったとき(雇ったとき)のメリット」が労働力の使用価値なのです。そして、会社にとってのメリットとは、もちろん私たちが稼ぐ利益です。つまり、

・使用価値が高い労働者は、能力が高く、会社に対して大きな利益をもたらす人

・使用価値が低い労働者は、能力が低く、成果を上げられない人

です。逆に考えると、会社に利益をもたらす人(成果を上げる人)は、「使用価値が高い人」ということですね。

ここで考えてみてください。使用価値は、その商品の値段に直接的な影響を及ぼしませんでした。使用価値が高いものは、需要と供給の法則にしたがって多少値段が上がります。しかし、2倍の使用価値があっても、値段は2倍にはなりません。上がるのはたとえば「1.2倍」くらいだったりするのです。

労働力についても同じことが言えます。これをお給料に置き換えると、「2倍の成果を出しても、給料は1.2倍くらいしか上がらない」となります。成果を上げたのにお給料が上がらないと嘆く人は多いです。「うちの会社は社員の頑張りを見ていない」「頑張っても評価されない」と。しかし、日本の資本主義経済のルールを考えれば、そう嘆くのは「筋違い」だったことがわかります。成果を上げたらお給料が上がると感じるのは、そもそもが誤解だったのです。

「労働力」というものが「商品」になるためには、使用価値があることが絶対条件です。成果を上げられない労働者は、使用価値がないので、企業に雇ってもらえません。成果を出すことは不可欠です。

使用価値が上がれば、「その商品がほしい!」と思う人が増えます。一般の商品で考えれば、使用価値があれば、消費者に選んでもらえます。そして、継続して買ってもらえます。これを労働力で考えると、「労働の使用価値があれば(その人が優秀で、企業に利益をもたらせば)、企業に選んでもらえる、継続して雇ってもらえる」となるのです。

お気づきでしょうか?労働者として優秀になり、企業に利益をもたらすことで得られるのは「雇い続けてもらえること」なのです。給料が上がることではありません。2倍の成果が出せるようになっても、給料は2倍にはなりません。そういう構造になっているのです。それが資本主義経済における給料のルールなのです。

厚生労働省の統計データが証明するもの

これは机上の空論ではありません。現実にこうなっているのです。厚生労働省が発表している統計(平成25年版賃金事情等総合調査)にそれが表れています。これは、基本給の金額を決めている要素です。基本給全体を100としたとき、それぞれの要素がどのくらい考慮されるかを表しています。

①年齢・勤続給・・・14.4%
②職務・能力給・・・31.3%
③業績・成果給・・・4.9%
④総合判断・・・49.4%

業績・成果給が4.9%しかありませんね。これが実態です。

たとえば、自分の月収を想像してみてください。月収30万円だとしましょう。この厚生労働省のデータから考えると、同期の中で、一番優秀な人は月収31万5千円(プラス5%)、一番成果が上がらない人は、月収28万5千円(マイナス5%)となります。これはかなり肌感覚と合っており、納得できるのではないでしょうか?

お給料でいう「能力」とはスキルの事ではなく、社会人としての「基礎知識」のこと

「業績・成果給は4.9%だが、その上の『職務・能力給』が31.3%もある。やはり労働者の能力(使用価値)が問われているのでは?」と感じるかもしれません。ですがそれは、言葉の意味を誤解しているだけです。「職務・能力給」とは、労働者が上げた成果ではなく、社会人としての基礎的な経験と、社会人としての基本業務をこなす能力を指しています。

たとえば、仕事をするうえで必要な礼儀、言葉づかいからスケジュール調整能力、段取り力、説得・プレゼン能力、その他社会人として必要な知識や基本となる経験を「能力」と定義し、それに応じてお金を払っているということなのです。そして、その基礎的な経験や社会人としての基本業務をこなす能力は、「社会人歴に比例して身につく」と考えられています。

このような能力は仕事を通じて、経験を通じて蓄積されていきます。通常、経験を積めば積むほど増えていきます。そして、具体的な仕事内容が変わっても減るものではありません。

たとえば、社会人10年目の人が、完全に未経験の業界に転職したとします。4月1日に学校を卒業したての新入社員と同時に入社しました。その業界のことをまったく知らないという意味では、新卒1年目も、10年目の人も同じです。

しかし、10年目の人の方が圧倒的に仕事ができるでしょう。なぜか?仕事のやり方がわかっているからです。10年の経験を積み重ねているので社会人としてのベースの力があるため、新入社員とは違うのです。これが「職能給」に反映されている「能力」なのです。これは先ほどから解説している「労働力の価値」に他なりません。新入社員が10年目の人と同じレベルの“地力”を身に付けるためには、社会人として10年の経験が必要です。それが給料の金額を決める大きな要素になっているのです。

高いお給料をもらうには?

お給料は、労働者が出した成果で決まっているのではなく、労働力の価値、つまり「その労働者が明日も仕事をするために必要なコスト」で決まっています。この「必要なコスト」には、食事・住居などの体力を回復・維持させるために必要なお金だけでなく、その仕事をするために必要な知識・経験・技術を揃えるためにかかるコストも含まれます。

医者や弁護士など、専門的な知識や長年の経験が必要な仕事は、そのために必要な知力を身に付けるのに膨大なコストと労力がかかり、そのため医者や弁護士のお給料は高い、という話をしました。そして、現代の厚生労働省の統計データからも、その裏づけをとることができました。つまり、高いお給料をもらうためには、「労働力の生産コスト」を引き上げることがポイントなのです。

Aさんの仕事をするのには、レベルAの知識や技術が求められるとします。そして世間一般的に、レベルAの知識や技術を身に付けるのに、100時間かかるとしましょう。一方、Bさんの仕事をするのには、レベルBの知識や技術が求められます。こちらのレベルBの知識や技術を身に付けるには、200時間かかると思われています。この場合、理論的に考えるとBさんの方が時給が高くなります

商品の原材料に、その商品をつくるためのスキル習得費が含まれているのと同様、労働力としての商品にも、「その仕事をするために必要なスキル」を身に付けるため、かかった勉強量(労働量)や費用が考慮されます。食費、家賃、洋服代、ストレス発散のための飲み代の他に、技術習得費が「労働力の価値」として考慮されるのです。

レストランのシェフになるためには、調理師免許を取り、何年も修行しなければいけません。その修行があって、初めてシェフとして働くことができます。つまり、その修行期間が「シェフとして働く」という労働力の「原材料」になっているわけです。だから、シェフの労働力の価値には、日々のシェフの労働だけでなく、この修行期間にかけた過去の労力も含まれるのです。

同じように、大学の先生になるためには、専門分野の知識を身に付けるために勉強し、論文を書かなければいけません。この勉強期間や論文を書くのに費やした労力も「大学の先生の労働力の価値」に加算されます。

また、免許がなければできない職業があります。もし、その免許を取るのに100万円かかったとしたら、そのときかかったお金は、その仕事をする労働力の価値に加算されます。ただし、100万円かかって資格・免許を取得しても、初回の仕事でいきなり100万円全額を「労働力の価値」として上乗せさせるわけではありません。この資格・免許の有効期間を考慮し、その期間内で「100万円」を均等割して労働力の価値に上乗せさせるようなイメージです。いずれにしても、その仕事をできるようになるために必要な準備期間、その準備に費やした労力も「労働力の価値」として加算されるのです。

お給料としてもらえるのは「必要経費分」だけ

私たち労働者のお給料は、「労働力の価値」で決まっています。つまり、労働力を再生産するために(明日も働くために)、必要なお金をお給料としてもらっているわけです。とすれば、月末になると銀行残高がなくなっているのも、まったく不思議ではありません。その一ヶ月間、生活して、仕事をするために必要なお金をお給料としてもらっているので、月末になったらお金がなくなっているというのは、むしろ「当たり前のこと」とも言えます。

逆に考えると、労働者は「明日働くために必要な分」しかもらっていない、ということがわかります。「ひと月に数回は飲みに行って気晴らしをしないと、やってられない」と考えられていたとしたら、その一回分の飲み代も「必要経費」としてお給料に上乗せして支給されます。

ただ、これも「精神衛生を守るための必要経費」なのです。必要だからくれるわけであって、決して労働者が「頑張ったから」でも「成果を出したから」くれるわけでもありません。私たちのお給料は、このように必要経費方式で決まっているのです。だから、「サラリーマン(労働者)はいつまでたってもしんどい」のです。

人によって、もらっているお給料は違います。新入社員より、30年目のベテラン社員の方がお給料は高いでしょう。しかし、それは30年目の社員の方が良い成績を出しているからではなく、30年目の社員の方が扶養家族ができたり年相応の身なりをしなければいけなかったりして生活費が高いからなのです。もちろん、新入社員より30年目の社員の方が、仕事の成果も高いだろうと思います。しかし、必ずしも年次が上の人が成果を出せているわけではありませんし、お給料が支払われている「労働力の使用価値」(労働者が会社にもたらす利益)ではありません。あくまでも「労働力の価値」に対して、なのです。

ということは、お給料が上がったとしても、それは「生きていくための必要経費が増えたから」なのです。生活は常にカツカツなのです。年齢によらず、社会経験によらず、労働者である限りは、「生きていくために必要な最低限のお給料」しかもらえないのです。

「最低限のお給料」の意味は少し変わってきます。餓死する一歩手前ということではなく、現代の生活に照らし合わせて、「ふつう」と思える生活をできるだけの金額です。一日中働いているのに、家族がボロボロの服を着て、いつもお腹をすかせていたら、それは「明日も元気に働くこと」はできないでしょう。

しかし、いくら働いても、いくら経験を積んでも「豊かになるためのお金」はもらえません。いくら成果を出しても、です。労働者としてお給料を上げるということは、それだけ必要なコストを費やすということなのです。労働者のお給料が上がるのは、成果を上げたからでなく、言ってみれば「生活費が上がったから」です。もしくは、「ストレスが増えたから」なのです。

というのは、労働者のお給料には、「仕事によって失われた精神的エネルギー」を回復するための費用も含まれているからです。つまり、ストレス回復費も加算されているのです。そのため、プレッシャーの高い仕事に就けば、それだけお給料が上がります。責任が重い役職は、その分お給料も高いです。これを逆に考えると、「ストレスが高いから、その分お給料が高い」ということになるというわけです。

つまり、企業で働く労働者が収入を上げるためには、それ相応の対価を支払わなければいけないということです。商品にたとえれば、売値を1万円高くできて喜んでいたら、じつは原価も1万円上がっていて、自分の取り分が変わっていなかったというようなことです。となると、いくら稼いでも、豊かにはなれません。

年収が増えたら、どれだけ豊かな生活が待っているだろうかと妄想する人は多いです。しかし現実的には、収入と同時に必要経費が増えるのです。

また、年功序列型のお給料が右肩上がりなのも同じ理屈です。ある程度年齢がいって、家族を養うのにお金がかかるから、その分お給料に上乗せされます。だから「高給」なのです。ですが当然、その人が生活していく、家族を養うために必要な金額をもらっているだけなので、月末になれば「いつの間にかお金がなくなっている」のです。お給料の決まり方のルールが変わらない限り、これは変わりません。厳しいですが、これが現実なのです。

「資格」を取ってもお給料は上がらない

「お給料が上がらない」「いつまでたっても生活が楽にならない」「仕事が忙しい」多くの人がそう感じながら毎日働いています。そして、何とかその状況を打開しようとしています。しかし、その「対策」が間違っているのです。

このしんどい状況を打開するために何をしているかと言えば、ある人は、より成果を上げるために、長時間労働します。またある人は、スキルアップのためといって、資格を取得しようとします。ですが、これらは全く解決策にはなりません。

まず、より成果を出せたとしても、さほどお給料は上がりません。お給料は、労働力の「使用価値」ではなく、「価値」で決まっています。そのため、使用価値(会社にとってのメリット)を上げても効果は低いのです。前文で説明した通り、成果給は基本給のうち5%程度です。それくらいしか考慮されないのです。繰り返しますが、労働力の使用価値は必要です。商品には「価値」と「使用価値」がなければいけませんので、成果を上げなくていいということではありません。

では、資格を取得するのはどうでしょうか?これは、さらに“成果が低い努力”です。というのは、労働力の「価値」の視点が抜けている可能性が大きく、また「使用価値」の視点については、完全に抜け落ちているからです。資格を取ろうとするのは、資格を取りさえすれば、お給料が上がると思っているからです(少なくとも、昇給の手助けになると思っています)。ですが、お給料の金額は、その仕事を続けるのに必要なものだけを考慮しています。仕事にまったく関係ない資格を取っても意味がありません。

また、本来は、この仕事に必要な知識やスキルを身につけようという発想で勉強をすべきです。「資格を取りさえすれば」と感じている時点で、順序が逆です。それでは、資格を取得することが目的になっており、それが仕事に使えるか、つまり自分の「労働者としての使用価値」を上げるかどうかはわかりません。

転職に有利と考えて資格を取得する人もいますね。そのパターンも一緒です。転職に有利な資格もあるとは思います。資格がなければできない仕事もあります。しかし、それ以外は「資格を持っていれば、即仕事ができる」というものではありません。資格とその資格を取るときに身に付けた知識・スキルは、あくまで補助です。資格を取ればそれだけで何とかなるわけではありませんね。

日本は経済先進国です。豊かな国のはずです。しかし、その「豊かな国」で生きる私たちは、その豊かさを実感していません。むしろ時代が進むにつれて、さらに仕事が長時間になりしんどくなっているような印象さえも受けます。

労働者がいつまでたっても豊かになれないのは、「必要経費」しかもらっていないからでした。また、どうすればお給料が上がるかというポイントが誤解されていることが多く、間違った努力がなされています。だから、「いつまでたっても生活が豊かにならない」のです。「しんどい毎日が繰り返される」のです。

まとめ

1.お給料を決めているのは、労働者のコスト(=知識・経験の取得や体力の回復・維持にかかるコストの合計)である。

2.労働力の「使用価値」は「雇い続けてもらう」ための絶対条件であり、お給料を上げる要因ではない。

3.お給料は労働力の生産コストに応じた最低限の必要経費分しかもらえない。いくら稼いでも、カツカツのしんどさは変わらない。

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■ここであなたにクイズです!

・IT(インフォメーションテクノロジー)の爆発的な普及により、世の中のルール(資本主義のルール)が変わりました。そして、世の中のルールが変わった事により誰にでも簡単に始められる仕事(身に付けるべきスキルがない仕事)でも、ある方法を実行することにより「労働力」を何倍にでも高めることができるようになりました。それの「ある方法」とは一体どういう方法だと思いますか?

 

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