経済 | 差別化して世の中を生き抜くためには?

資本主義を生き抜く為に知らなければいけない”経済”のコト




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『資本主義』には、労働者が搾取され、虐げられていく状況が分析されています。この先の資本主義経済を生き抜くためには、「労働者が搾取され、虐げられる理由」を読み解き、その逆をいけばいいのです。その観点から『資本主義』について考えると、大きく分けて3つの対策を導き出すことができます。

①変化耐性をつける
②能力を汎用化させる
③USPをつくる

では、ひとつずつ詳しく見ていきましょう。

①変化耐性をつける

資本主義が発達し、機械制大工業が浸透すると「全体的に発達した個人」が登場します。今の言葉で言うと、“ジェネラリスト”です。

生産技術が進化するにつれて、作業工程・作業内容が次々に変わり、人間の労働者がそれに対応していかなければいけません。いろいろなことができなければいけないのです。また、生産技術が改良され、労働者が不要になった産業が出ると、そこで職を失い新たな産業に「転職」しなければいけません。労働者は生きていくためには新しい業界で仕事ができなければいけません。そして、さまざまな能力を身につけなければいけません。「全体的に発達した個人(ジェネラリスト)」にならなければいけなかったのです。

結果的に、「全体的に発達」できるとしても、労働者にとって、このプロセスは非常に痛みを伴うものです。というのは、要するにこれは「解雇される→再チャレンジする」というプロセスだからです。ただ、この苦しいプロセスを踏めば、結果的に「全体的に発達する個人」ができ上がります。

現代は、言うまでもなく高度に発展した「機械制大工業」の経済です。ただ、上記の苦しいプロセスを全員経験しているかというと、そうではありません。たしかに現代でも、異動や出向があり、“ジェネラリスト”が育成されています。でも、そうはいっても、その会社組織の範囲内です。正社員であれば会社の中での異動が主になるでしょう。

そういう意味で、資本主義の中でいう「全体的に発達した個人」とは違います。正社員になると、あまり職場環境や仕事内容、仕事相手が変わりません。異動して扱う商品が変わったり、転勤して勤務地が変わることはあります。しかし、まったく門外漢の分野に飛び込まなければいけないという事態はあまりありません。

その意味で、現代の労働者は変化に不慣れであると言えるかもしれません。そして、変化に慣れていなければ、変化を怖がるようになります。それまでずっと環境が変わらず、ずっと同じ相手と、同じ場所で、同じような仕事をしてきた人には、仕事を変えることは人生をやり直すくらいのことに感じるでしょう。まさに「清水の舞台」から飛び降りるような心持でしょう。その結果、過度に転職を怖がり、今の企業にしがみついてしまいます。それが労働者を窮屈にしていることは否めません。

しかし、だからと言って、「転職に慣れておけ」というのも本末転倒です。転職するために仕事をするのではないからです。そういう人は、日常から変化を経験しておき、「変化耐性」をつけておかなければいけません。職探しを怖がってしまうのは、変化に慣れていないからです。変化を怖がっているのです。変化に対する耐性を身につけておくことがとても大切です。

ただ、「変化」といっても、通勤ルートを変えるとか、ふだん行かない定食屋に行くとか、使っているボールペンを変えるとか、そういうことではありません。気分的に少し気分が乗らないこと、プレッシャーを感じることをやってみるということです。転職が怖いと思うのは、自分の労働力を売ることができないと思っているからです。つまり、「自分の使用価値」を認めてもらえるかが不安なのです。しかし、その不安を感じながらも、「命がけの躍進」をしなければ、結局商品にはなれません。他の人に認めてもらい、買ってもらうことはできないのです。

だから、日々この「命がけの躍進」の練習になる行動をしておく必要があります。そこまでの大々的な試験ではなく、ちょっとした“ジャンプ”を常に経験し、慣れておかなければいけません。たとえば、新規開拓の飛び込み営業をしてみる、知らない街にたったひとりでボランティアに行ってみる、週末に有料の勉強会を開いてみるなどです。どんな仕事でも、慣れたら“ぬるま湯”になります。新しい仕事を探せないのは、その“ぬるま湯”に浸り切ってしまっているからです。ぬるま湯から抜け出すためには、小さなプレッシャーを少しずつ感じることです。

 

ブラック企業があるのは”労働者”が依存しているから

資本主義経済が進行するにつれて、労働者のお給料は低下していき、同時に企業の利益率やビジネス成功確立も下がっていきます。そうした中、追い詰められた企業は、何とかして剰余価値を稼ごうとするでしょう。それは、「絶対的剰余価値」を増やそうと労働時間を極端に長くしようとすることかもしれません。過度にプレッシャーを与えて、労働生産性を強引に高めようとするかもしれません。本来の労働力の価値を払わず、残業代や基本給を減らそうとするかもしれません。つまり、企業は生き残りをかけて、ブラック化することも十分考えられるのです。

もちろん、すべての企業が「ブラック」になるわけではありません。しかし、企業のビジネス環境が飛躍的・安定的に改善することは考えられません。程度の差はあれ、資本主義の宿命として、企業からの圧力は強まっていくのです。これからの世の中、「企業に依存しない働き方」が必要になります。ひとことで言うと、使われる側の労働者から抜け出さなければいけないということです。と言っても、全員が資本家になるべきということではありません。独立して「社長」にならなければいけないということでもありません。先ほど説明した「フリーランス・マインド」で仕事をしなければいけないということです。

実際に企業に勤めていたとしても、「使用人」ではなく、「その仕事を請け負っている人」として仕事をするということです。企業に隷属するのではなく、フリーランスの立場で仕事を発注されているかのように自分を捉え、そのようにふるまうということです。どういうことか、説明していきましょう。

 

「ブラック企業の社員」にならないためには?

最近、「ブラック企業」という言葉をあちこちで聞くようになりました。労働者に過酷な労働を強いたり、残業代を支払わなかったり、そもそも無理なノルマを課して追い込んだり。資本主義の表現で言えば、まさに「搾取」です。

これからの労働者の働き方を考えると、このブラック企業を避けることは非常に大きなテーマになります。新聞や雑誌では、ブラック企業に騙されないために、ブラック企業を見分けるために、などいろいろなアドバイスがされています。ただその前に、ブラック企業=搾取の構造として資本主義ではどのように考えられているのか、なぜ搾取されてしまうのか、つまり、なぜブラック企業にハマってしまい、そこから抜け出せない労働者が大勢いるのかを考えてみます。

まず「ブラック企業」を冷静に定義しておきます。「Wikipedia」の定義によると、

労働者を酷使・選別し、使い捨てにする企業。度を越えた長時間労働やノルマを課し、耐え抜いた者だけを引き上げ、落伍者に対しては、業務とは無関係な研修やパワハラ、セクハラなどで肉体・精神を追い詰め、戦略的に「自主退職」へと追い込む。

これが「ブラック企業」です。ブラック企業とは、労働者から利益を奪う企業ではありません。もともと企業の利益は、労働者がお給料以上に稼いだ分です。企業は労働者がお給料以上に働かなければ利益を出すことはできません。そういう意味では、本来すべての企業が「ブラック」です。

ただ、それを「ブラック企業」と呼んでしまうと、生産部門以外の部署(たとえば、経理、人事、配送)の人員を養うことはできません。労働者が自分のお給料以上に稼いだ付加価値が基になり、企業のさまざまな部署が維持されています。だから、「搾取」がすべて資本家の欲望によって行われているわけではありませんし、自分が生み出した価値をすべて自分がもらえると考えるのは、組織で働く労働者として正しくありません。

「Wikipedia」の定義を合わせて考えると、ブラック企業の出発点は、「度を越えた長時間労働やノルマを課す」という性質にあると感じます。その後の「戦略的に自主退職に追い込む」というイヤらしさもありますが、そもそも労働者を酷使するところが問題なのです。通常の業務をこなせない、もしくは、仕事をさぼる人員に対して退職を勧めても、それは「ブラック企業」とは呼ばれません。過度に労働者をこき使うのがブラック企業なのです。

そして、「相対的過剰人口」が密接に関わっています。相対的過剰人口とは、簡単に言うと、その仕事をやりたいと思っている人が多いことです。「応募者・求職者」が多いということです。応募者・求職者がたくさんいると、企業は「おまえらの代わりはいくらでもいるんだからな!」と強気に出ることができます。「嫌だったら、辞めていいんだぞ?」と。

労働現場が機械化されることによって、仕事内容が簡単になり、力が弱い女性や子どもでもできるようになった結果、「求職者」が増えて、労働条件が悪化します。しかし、「ブラック企業」が成り立ってしまう本質はそこではありません。企業が労働者に対して高圧的に接することができるのは、「代わりがいるから」ではなく、「その労働者が辞めることができないから」です。

労働者が、つらくても辞めることができないと、企業に従うしかない。企業は、それを知っているから、労働者に高圧的に出ることができる。「代わりはいくらでもいる」とはいえ、みんなが「そんな条件なら辞める」と言ったら企業は継続できません。「求職者」がいくらでもいるというのは、企業側の単なる脅し文句で、本質的には「今いる従業員が辞めることができないこと」がポイントなのです。

そう考えると、搾取・ブラック企業の解決策は、労働者側にもあると言えるのです。資本主義では、労働者が労働者になるための条件を「二重の自由」という言葉で表現します。少しややこしい表現ですが、この「二重の自由」の条件を満たすと、その人は労働者として生きていくことになる、ということです。ここでいう「自由」とは、“自由の女神”などの“自由”ではなく、「~がない」という意味です。英語で、「○○がない」を「be free from ○○」といいます。その意味の“free”です。要するに、「ふたつのものがfree」、「①××、②△△がない」ということを意味しています。

では、何と何がないと、人は労働者として生きていくことになるのでしょうか?

ひとつは、「身分的束縛」です。奴隷制度のように、「ご主人」がいる場合、その人は工場勤務の労働者になることができません。そしてもうひとつは、「生産手段」です。生産手段がなく、自分では商品を生産できないと、人は労働者になるのです。そして、ブラック企業によって労働者が搾取されてしまうのは、生産手段がないからです。現代風にアレンジすると、他にお金を稼ぐ手段がないから、その人は労働者になり、他にお金を稼ぐ手段がないから、その企業(他人のビジネスモデル)に隷属してしまい、極限まで搾取されてしまう、ということなのです。

もし、労働者が「他にお金を稼ぐ手段」を持っていたら?企業が高圧的な態度で搾取をしようとしても、「あ、じゃ自分は辞めます」と言って、出ていくことができます。労働者がみんなそういう状態だったら、ブラック企業は成立し得なくなります。

労働者を搾取するブラック企業は経営者や風土の責任と考えられることが多いです。しかし、企業がそういう態度に出られるのは、労働者が企業に過度に依存しているからではないでしょうか。搾取・ブラック企業の「責任」が労働者にある、ということではありません。労働者が対策を取ることで避けることができる、ということです。

労働者は、中世の奴隷とは違って、自分の選択で職場を変えることができます。しかし、「その企業で働くしかない労働者」は、どれだけ虐げられても、辞めることができません。それが企業の搾取を可能にしているのです。つまりは、労働者が企業に依存している構造が、ブラック企業を生んでいるのです。「皇帝」のように君臨するブラック企業の経営者は、自然に「皇帝」になるわけではありません。その皇帝に依存する「奴隷」がいるからこそ、ますますその権力を強めて、ますます奴隷を虐げていく、ということになります。どんな劣悪な条件を提示されても、どんなパワハラを受けても、その会社にとどまるしか道がない(と思っている)人は、その条件で働かざるを得ません。会社への依存度が強くなれば強くなるほど、企業はブラックになりやすくなるのです。

「その企業で働くしかない労働者」には2種類います。ひとつは、「怖くて動けない人」、もうひとつは「実際に他で働く能力がない人」

精神的に、職場が変わること、新しい仕事を探すことに恐怖を感じている人はたくさんいます。日本では、転職市場が整いつつあるとはいえ、転職未経験のビジネスパーソンはまだ大勢います。やったことがないことは、不安に感じるのも無理はありません。ただ、「だから仕方がない」で終わらすことはできません。あたなが新しい仕事を見つける事に恐怖を感じてしまえば、現在の企業に「しがみつく」ことになります。何があっても、企業の命令に従わざるを得なくなります。

むかし、こんな言葉がありました。「結婚したら、転勤。家を買ったら、転勤」

これは「結婚したら、リスクを取れなくなる、つまり転職できなくなるので、転勤の辞令を出しても大丈夫だろう。家を買い住宅ローンを組んでしまったら、もうこっちのもんだろう」ということです。

どこまで企業が意図していたかはわかりませんが、現に結婚して新婚旅行から帰ってきたら転勤を命じられたり、家を買ったらすぐに地方に転勤になっているケースはよくありました。搾取やブラック企業もこの延長線上にあると思うのです。この構造から抜けるためには、まずは精神的に自立しなければいけません。そして、「新しい職探し」に恐怖を感じないようになっていなければいけません。実際に職を探したらすぐ見つかるような実力があっても、やったことがないために、極端に不安に感じてしまう。そうなると、企業に依存してしまうのです。

②能力を汎用化させる

『資本主義』から読み解けるふたつ目の対策は、どこでも使えるスキルについてです。精神的な問題ではなく、「実際に他で働くことができない人」がいます。これは能力が低いということではなく、「つぶしが利かない」という意味です。

A社に勤めている人は、A社向けの能力が身についています。しかし、それは必ずしもB社で使える能力ではないかもしれません。同じ業界のライバル企業では使えたとしても、異業種ではまったく活用できないスキルや知識もあります。自分の能力が、その会社でしか使えないと、外に出ることができず、その企業に依存することになります。その会社の中で評価されるためには、その会社の業務を理解し、その会社の風土を知らなければいけません。その会社にどっぷり浸からなければ、高い評価を得ることは難しいでしょう。

しかし一方で、その会社に浸かってしまうと、「その会社でしか使えない知識、スキル」をたくさん身につけることになります。たしかにそれは、あなたの武器となり、その会社の中で生きていくための資産となるでしょう。ただ、その知識を、他で使うアテがなかったとしたら、あなたは一歩も外に出られない状態に陥ってしまいます。あなたが、それまでの経験をすべて捨てて、新入社員と同じ気持ちでゼロから再スタートをする覚悟があればかまいません。しかし、年を重ねれば重ねるほど、そう覚悟することは難しくなります。

その会社で一生懸命仕事をすることは大事なことです。しかし、その会社でしか使えない資産を蓄えていくと、かえって「他では一切使えないもの」を抱え込み、自分で身動きをとれなくしてしまうのです。

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今行っている仕事の「内容」を改めて考えてみる

経済が高度に発展していくにつれて、私たちが携わるビジネスは巨大になっていきます。一方で、私たちが行う仕事は分業が進み、細分化されていきます。大きいビジネスの中の小さな歯車と化していくのです。

ここで、資本主義でいう「疎外」が起こります。今の言葉で“疎外”というと「仲間外れ」と捉えるかもしれません。ですが、資本主義でいう「疎外」は違う意味で、簡単に言うと「疎遠なものになってしまう、関係ないようなものになってしまう」ということです。本来、私たちの仕事は、消費者に喜んでもらうため、誰かの役に立つために行っているはずです。

その昔、人々が自給自足で暮らしていたころ、自分の「労働」が何のためなのか、それはどんな意味があり、何の役に立っているのかを実感していました。しかし、資本主義が発展し、仕事が細分化され、単調な作業の繰り返しになると、仕事が“疎遠なもの”に感じてしまいます。そしてやる気を失っていきます。自分の仕事が何の役に立っているのか、そもそも自分たちは一体何の仕事をしているのかわからなくなってしまうのです。

こうなってしまうと、仕事はどんどんつまらなくなると同時に、自分がどんな能力を持っているのかすら、わからなくなっていきます。放っておくと、私たちは仕事の意味と自分の能力を見失っていくのです。

「自動車メーカーで働いているけど、自分の仕事はその中の超一部。実際にどこで役に立っているのかわからない」「営業マンになったけど、御用聞きだけだから、実際にどんなスキルが身についているかわからない」「コールセンターに勤めているが、実はこの仕事は電話よりももっと効率的な応対方法があるんじゃないか・・・」

自分の労働がどうビジネスに役立っているか、どんな意味を持っているかわからなくなっているのです。私たちがしなければいけないのは、この「疎外」から抜け出すことです。そのためには、常に自問し続けることです。

現代では、効率化を追求するために、分業が進んでいます。この流れを変えて、すべての工程をひとりで担当することは不可能でしょう。私たちは、引き続き、細分化された業務を担当していくのです。ここで私たちができるのは、その細分化された仕事がどう役に立っているのか、自分はどんなスキルを使いこなすことができ、何の仕事をしているのかをきちんと自覚することです。それが「疎外」に抵抗する唯一の方法です。

 

自分の仕事を2種類に分けて考えてみる

仕事の意味を自問する際に役立つのが、抽象化です。日々行っている仕事の具体的な内容ではなく、それを一歩引いたところから見て、抽象的に考えるのです。人間の労働にはふたつの捉え方があるということです。そのふたつとは、「具体的有用労働」「抽象的人間労働」です。

「具体的有用労働」とは、「具体的な仕事、作業、動作」のことです。人間が働く場合、何か具体的な動作をしていますね。たとえば靴をつくる労働、パンをつくる労働、人形をつくる労働など。商品によって、形状や機能が違います。それは、それをつくる際の具体的な動作、作業内容が違うからです。そして、具体的な動作、作業内容が違うから、その商品が持つ使用価値が変わります。つまり、人間が労働するときには、具体的に商品を形づくるという意味合いがあり、それが使用価値をつくり上げているのです。この具体的な動作を「具体的有用労働」といいます。

一方で、労働には、「抽象的人間労働」という側面があります。いまの「具体的人間労働」に対し、「単にエネルギーを使う」という意味での労働を「抽象的人間労働」と言います。人間が労働するということは、いずれにしても、その人が労力を費やしているということです。『資本主義』の立場では、「労力(人の手)がかかっている=“価値”がある」です。どんな仕事も、具体的に考えると違う作業をしています。ですが、抽象的に考えれば「商品に価値を与えている」という意味で共通します。そういう意味で、何も意味がない労働はないのです。

同じように、自分の仕事を、具体的な作業内容から切り離し、視野を広げて抽象的に捉えることができます。たとえば、具体的な作業内容としては、「DMを送る作業」でも、視野を広げれば「お客さんとの関係を築く行為」になります。具体的には「ルート営業」でも、視野を広げれば「その地域のファンを増やす行為」かもしれません。具体的には「資料づくり」でも、視野を広げれば「『どんな要素があれば、顧客が購入を判断するか』を、試行錯誤で探している行為」かもしれません。このように労働を分解して捉えてみると、新しい発見があるのではないでしょうか。

ほとんどのビジネスは、本質的には同じです。突き詰めると、同じところにたどり着くとよく言われます。つまり、自分が身につけてきた能力は、突き詰めると他の業界と同じ要素に行き着くのです。つまり、他の業界でも使えるスキル・知識なのです。もちろん表面的には違う仕事なので、一見違うことをしているように感じます。ですが、本当は同じこと、他の業界でも使えることなのです。

自分が仕事を通じて身につけた能力・知識・スキルは、どのように他の業界と同じなのか、どうすれば応用できるのかを考えなければいけません。そうすることで、あなたは他の選択肢を持つことができます。

③USPを身につける

社会が成熟していくにつれ、労働者のお給料は安くなっていきます。資本主義が成熟していくにつれ、企業の経営状態が悪くなり、それも労働者を苦しめていきます。そこから抜け出すためには、「雇われ人」から抜け出さなければいけません。それがここまでお伝えしている「フリーランス・マインド」を持て、ということです。ですが、「使用人から抜け出して、フリーランス・マインドを持って働く」と言っても、それを実現する力がなければいけません。では実際に、その「フリーランス・マインド」を持って働くためには、どんなことが必要なのでしょうか?『資本主義』から読み解ける3つ目の対策は、「自分の労働力を高く買ってもらうこと」、そして「命がけの跳躍リスク」を下げることです。それに必要なのが、USPです。

 

USPUnique Sales Proposition(ユニークセールスプロポジション)

マーケティングの分野に、「USP」という言葉があります。これは「Unique Sales Proposition」の頭文字を取った言葉で、日本語でいうと、「独自のウリ」です。つまり、他の商品にはない、その商品にしかない強みのことです。

このUSPには、いろいろな意義があります。USPがあると、営業が要らなくなる、USPがあると注目してもらえる、USPがあると「第一人者」になれる、など。ただ、私が考えるUSPの「役割」は、高い価格で売れることです。USPがあるとコモディティ(均質)にならず、商品を高く買ってもらえるのです。自分の商品にしかない魅力があれば、消費者に選んでもらえます。自分の商品にしかできないことがあれば、買ってもらえます。“コモディティ(均質)”にならず、ふさわしい評価をしてもらえます。

商品があふれている現代において、このUSPを見つけることがマーケティングの課題であり、最優先事項のひとつとも考えられています。このUSPをつくる要素は、次の3つに集約できます。

①顧客に提供するメリットがある
②ライバルがいない(かなり少ない)
③マネしづらい 

まず「顧客に提供するメリットがある」ことが必要です。そもそも顧客にメリットを与えるものでなければ、そうでなければ「ウリ」になりませんし、そもそも商品として成り立ちません。また、ライバルが多いより、少ない方がいいということも納得いただけるでしょう。

でも、ここで注目してもらいたいのは、「マネしづらい」という点が上がっているということです。どれだけいい「ウリ」を持っていても、それをすぐに他人がマネできてしまうのであれば、「独自のもの」になりません。今現在「独自(ユニーク)」であるだけでなく、他の人が「お!あれ、いいね!」と思っても、簡単にマネできないということが重要なのです。「今現在、独自であること」に注意を払う人は多いです。しかしそれよりも、それが他の人が将来にわたってコピーできないのかを考えなければいけないのです。

では、将来にわたってマネされないためには、何が必要なのでしょうか?特許でしょうか?抜群のセンスでしょうか?先見性でしょうか?

たしかに、特許で守ることができれば、技術やアイディアをマネされずに済みます。ですが、似たようなものはつくられてしまいます。iPhoneの技術はアップルがガチガチに特許で固めています。しかし、にもかかわらず、競合他社が似たようなスマホを出しています。ディズニーランドは、ディズニーにしかできません。しかし、キャラクターを使ったテーマパークであれば、他の企業にもできてしまいます(ディズニーランドと同じくらいの人気を集められるかは別ですが)。特許ですべてを守れるわけではないのです。

では、USPを持つために必要なのは、抜群のセンスや能力でしょうか?他人より圧倒的にうまくできれば、「独自のウリ」になります。スポーツで考えれば、足が速い人は「独自のウリ」を持っています。野球でも、サッカーでも陸上競技でも、足が速ければ認めてもらえる機会が多く、レギュラーになるチャンスも多いでしょう。「私の強みは、足が速いことです」。そう考えると、抜群のセンスがあれば、USPを持てる気がします。ですが、そのウリは、あなたよりもっと足が速い人が出てきた瞬間に「ウリ」ではなくなってしまいます。意味をなさなくなってしまうのです。

オリンピックや世界陸上の「100メートル」を見るとわかりやすいでしょう。足が速いと認められるのは、ナンバーワンの人だけです。2014年の春、世界で一番足が速いのはウサイン・ボルト選手です。でも、残念ながら、ボルト選手もいつかは負ける日が来ます。年齢とともに、体力が衰えてしまうからです。かりにボルト選手がナンバー2になったとき、彼の「ウリ」はなくなってしまいます。もちろん、世界2位でも、とてつもなくすごいことです。しかし、そのセンスや能力だけで勝負していると、それを上回る人が出てきたときに、一瞬で崩れてしまうのです。

では、USPを持つために必要なのは、先見性でしょうか?「来年、このようなニーズが生まれる」「このような商品が世の中から求められる」と判断し、いち早くそれを市場に提供すれば、USPを築けるように感じる人が多いかもしれません。

たしかに、最初はあなたの商品しかないので、USPを発揮できます。しかし、その商品が魅力的であればあるほど、すぐに似たような商品が登場します。モバゲー(DeNA)がスマホゲームの市場をつくり出した後、すぐにGREEが参入しました。その後、多くの企業が同種のゲームを提供しています。単純にマネをしただけのゲームから、独創性があるゲームまで、いろいろあります。

ここで注意したいのは、他に先駆けて市場に参入したモバゲーが、もはや「独自」ではなくなっているという点です。後発で出されたパズドラが爆発的なヒットになったことからも、モバゲーの独自性はなくなっていることがうかがえます。モバゲー、GREEは他のライバル企業と激しい競争をしなければいけなくなっているのです。せっかく自分たちが市場をつくり上げたのに、「独自」ではなくなってしまっているのです。

これらの「特許」「持ち前の能力・スキル」「先見性」では不十分なのです。短期的にUSPを築くことができても、すぐにひっくり返されてしまいます。長続きしないのです。マネされない、ひっくり返されないUSPをつくらなければいけないわけです。ではどうすれば、そのマネされないUSPをつくることができるのでしょうか?そのためには、何が必要なのでしょうか?

 

USPをつくるポイントは、日々の努力の積み重ね

マネされないために必要なのは、資本主義の中でいう意味での「価値」です。商品の価値です。商品の価値は、それにどれだけ手がかけられているかを表します。つまり、「価値が大きい」とは「人の手がたくさん加わっている、苦労してつくり上げた、それをつくるのに大変な時間・コストがかかった」という意味でした。

しかし、人の手がかかっていても、苦労してつくり上げていたとしても、時間やコストをかけてつくっても、本来は意味がありません。それは顧客に無関係だからです。顧客は「あなたが苦労したかどうかは関係ない」と思っているからです。知人であれば「大変でしたねぇ」と同情してくれるかもしれませんが、見知らぬ人から「これ、苦労してつくったので買ってください」と言われても、買いません。そういう意味で、「商品の価値」は買ってもらう理由にはなりません。だからほとんどの商品が「使用価値(顧客へのメリット提供)」を考えているのです。

ですが、同時に「使用価値」に目を向けるあまり、「価値」が軽視されています。「価値」が小さいものは、他の人でも簡単にマネできてしまうということを忘れてはいけません。その商品をつくるために、それほど労力がかからない、それほどコストもかからない、それほど知識や経験がなくてもいい、そういう商品は簡単にマネされて、すぐにライバルが増えて、すぐにコモディティ(均質)になってしまうのです。

たとえば、かつて「ホワイトバンド」というゴム製のリストバンド型アクセサリーが流行りました。有名タレントが宣伝したこともあり、一大ブームになったのも記憶に新しいです。このホワイトバンドは、もともとアクセサリーではなく、寄付・援助活動の象徴として手首につけようというメッセージでした。キャンペーンの一環として発表されたものでした。そのため、継続的に売ろうとしていたわけではないと思います。

ただ、この手首につけるゴム製のバンド自体は簡単に製造できるので、似たようなものは次から次に出てきました。簡単につくれるから、商品としてはマネされてしまうのです。

仮に、このホワイトバンドが継続して長く売りたい商品だったとしたら、どうでしょうか?社運をかけて、有名タレントを広告に使い、多額の広告費を使ってプロモーションを展開したら?ヒット商品に育てても、すぐに「模倣品」が横から成果を奪っていくでしょう。

上記本文内でも説明したように、資本主義の中では、経済が成熟するにつれて、商品の価格は下がります。それは、誰もが特別剰余価値を狙うあまり、効率のいい生産方式が普及してしまうから、そしてそれによってその商品の「価値」が下がるからです。需要と供給のバランスがとれているとすると、価格は価値通りに決まります。だから、みんなが同じように生産できるものは、価値が下がり、それとともに価格が下がっていくのです。それを防ぐためには、「価値」が下がらないようにすることです。

商品には、他人に認めてもらえる「使用価値」だけでなく、「他人がマネできないような積み重ね」が必要なのです。それがUSPをつくり上げ、正当な価格で長く買ってもらえる状況をつくるのです。

そして、同じことが労働力にも言えます。労働力も商品です。そして、商品と同じように、USPが必要です。自分の労働力にUSPがあれば、長く、正当な価格で買ってもらえるのです。労働力のUSPをつくり上げるのも、商品のUSPと同じく、

・顧客に提供するメリットがある→人の役に立つことをしている
・ライバルがいない(かなり少ない)→他に提供している人がいない、かなり少ない
・マネしづらい→その労働をするのに必要な知識や経験が膨大

というポイントに集約できます。ここでも、マネしづらさは「労働力の価値」がポイントです。労働力の価値は、その労働者が明日も働けるように必要なコストで決まっていました。そしてここには、単なる生活手段の費用だけでなく、その仕事をするために必要な経験・知識を得る時間とコストも加算されます。弁護士や医者のお給料が高いのは、弁護士や医者になるために膨大な準備期間とコストがかかるからと説明しました。

これはすなわち、「積み重ね」を意味します。労働力の価値が大きいとは、すなわち、「(労働者としての)あなた」をつくり上げるのに、膨大な時間とコストがかかっているということです。そして、この積み重ねこそ、簡単にマネできない状況をつくり、USPを作り出すのです。他の人が、今のあなたと同等の経験と知識を得るためには、ものすごい時間がかかる。そういう状況であれば、いくら他人がマネしようと頑張っても、できません。 

たとえば、今のあなたがいる場所にたどり着くまでに3年かかるとしましょう。他人が3年かければ、その場所にたどり着けます。しかし、その3年で、あなたはまたさらに先に進んでいます。こうなると、ライバルは一生あなたに追いつけないので、結局マネできないということになります。これが重要なのです。

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